銭湯と聞いて思い浮かべる風景のひとつに、浴場の壁に描かれた美しい背景画があります。特に富士山は、日本の銭湯文化を象徴する代表的なモチーフとして知られています。この背景画を描く職人、「ペンキ絵師」の技術や歴史をご存じでしょうか?本記事では、銭湯文化とペンキ絵の魅力、富士山が選ばれる理由などを詳しく解説します。
銭湯の歴史
6世紀に渡来した仏教は、聖徳太子の積極的な導入政策もあり、国家宗教へと急速に成長しました。その仏教では、沐浴の功徳を説き、汚れを洗うことは仏に仕える者の大切な仕事と考えました。寺院では七堂伽藍の1つに浴堂を数え、施浴が盛んに行なわれました。施浴によって、庶民が入浴の楽しみを知ったためでしょうか、平安時代の末には京都に銭湯のはしりともいえる「湯屋」が登場します。
江戸時代に銭湯がいつできたかは定かではありませんが、『慶長見聞録』(1614年刊)には、「天正19年(1591)伊勢与市という者が銭瓶橋(ぜにがめばし)(現在の常盤橋付近にあった橋)のほとりに銭湯風呂を建てた」と記録が残っています。
現在のようにたっぷりの湯に首までつかる「据(すえ)風呂」ができたのも、慶長年間の末頃。据風呂は蒸気ではなく、湯の風呂だったことから「水(すい)風呂」とも呼ばれ、一般の庶民の家庭に広まります。
明治以降、銭湯の設備も進化しました。大正時代になると、板張りの洗い場や木造の浴槽は姿を消し、タイル張りになり、昭和2年(1927)には、浴室の湯・水に水道式のカランが取り付けられ、衛生面も向上しました。
「ペンキ絵師」とは?銭湯の壁画を支える職人技
銭湯の壁に描かれる背景画を手掛ける職人が「ペンキ絵師」です。彼らは、長い経験と高い技術を持つ特別な存在です。ペンキ絵は銭湯の休業日に描くため、一日で広い壁面を描き上げるスピード感が求められます。ペンキ絵師の仕事は見た目の美しさだけでなく、訪れる人々に癒しや安心感を与える役割も果たしています。現在では、銭湯のペンキ絵師は全国に3人しかいないため、後継者不足が課題とになっています。
銭湯に富士山が描かれる理由とは?
富士山の背景画が銭湯文化に根付いた背景には、東京都台東区にある「キカイ湯」という銭湯が大きな役割を果たしたと言われています。「キカイ湯」は1912年(大正元年)に、銭湯の壁画として初めて富士山を描いた銭湯のひとつとして知られています。
当時の銭湯の壁画は、多くの場合は単色の装飾や簡素な模様に留まっていました。しかし、「キカイ湯」の経営者が「子供たちに非日常の風景を楽しんでもらいたい」と考え、風景画を依頼したのが始まりです。その中で、日本を象徴する富士山が選ばれ、利用者から大変好評を得ました。
この成功を受けて、他の銭湯でも富士山の絵を描く文化が広がり、東京を中心に銭湯の壁画に富士山が描かれることが一般化していきました。「キカイ湯」の試みが、現在の銭湯文化の基盤を築いたと言えるでしょう。
関東に多い「富士山の壁画」、地域ごとの違いとは?
興味深いことに、銭湯の背景画に富士山が描かれる文化は主に関東地方に集中しています。そもそも大阪ではペンキ絵ではなくタイルで壁を飾る銭湯が多く、富士山ではなく松林や橋、海岸線などさまざまな風景が描かれることが多いと言われています。他にも、北海道や九州地方など、地元の名所を模した風景画が取り入れられることもあり、地域ごとに独自の文化や伝統を背景画に反映するケースが多くあります。
まとめ
銭湯の背景画に描かれる富士山やその他の風景は、ただの装飾ではなく、日本の文化や地域性を象徴する重要な要素です。特にペンキ絵師たちが手掛ける背景画は、訪れる人々に非日常の癒しを提供し、銭湯という空間を特別なものにしています。
富士山をはじめとする背景画の文化は、これからも日本の銭湯文化とともに受け継がれていくことでしょう。地域ごとの特色ある背景画にも注目しながら、銭湯を訪れてみてはいかがでしょうか?